ブランドポリシー
LocalBrandの自社工房では、様々な工程を経て、オーダーメイドジュエリーを製作しています。
お客様からリクエストされたジュエリーを製作する上で、デザインはもとより、フィット感や石留めの確かさなどジュエリーには欠かせない工程があります。自社工房では、ファインジュエリー製作において長年の経験をもつクラフトマンによって、こうしたち密な製作作業とクオリティ・コントロールを重ねています。
また、ハワイアンジュエリーならではのエングレイブ(彫り)を担当するハワイの工房においては、腕の確かな20年来のキャリアを持つ、マスターエングレイバーの感性豊かな≪彫り≫は、ジュエリーにスピリットを吹き込みます。
さまざまなクラフトマンの手を経て、見るものを感銘させる、良質のジュエリーは生まれるのです。
私達はこれからもクラフトマンシップにこだわり、ものづくりへのチャレンジをし続けたいと考えております。
LocalBrandのジュエリースタイル・コンセプト「海の香りと山の息吹と」
時の流れや自然の感性をとらえ、LocalBrandスタイルをご提案していく~これこそ、LocalBrandならではのオリジナリティがあります。
ハワイにて製作する、オリジナル・ハワイアンジュエリーは、ハワイアンの感性とLocalBrandの美意識を融合したもの。
もともとハワイの王族からはじまった、伝統と格式あるハワイアンジュエリーを、LocalBrandならではの 繊細でみずみずしい感覚でアレンジ、まさしく「LocalBrandハワイアンジュエリー」と呼べるラインナップが充実しております。また丁寧に一つ一つ丁寧にハンドメイドされた海の香りのする、ぬくもりのあるオリジナルアクセサリーの数々。
ジュエリーのみならず、ファッション、インテリアとライフスタイルをトータルで「LocalBrandスタイル」をご提案させていただいております。
よりご満足いただけるハワイアンジュエリーをお作りするために LocalBrandは、ハワイアンジュエリー、ハワイアンアクセサリー、オーダーメイドジュエリー専門店として、よりよいクオリティのためにベストを尽くしております。
ハワイでも屈指の工房による感性豊かな彫り技術、また、日本の工房との精緻な宝飾技法とのコラボレート、デザインスケッチの作成など、より質の高いハワイアンジュエリーをご提供することに努力を惜しみません。
とりわけオーダーメイド・ハワイアンジュエリーやハワイアンジュエリーへのジュエリーリフォームなど、お客様のリクエストにお答えするためには大変緻密な工程を必要とします。
お客様のリクエストをどうハワイアンジュエリーに反映していくか、店頭でのジュエリーコーディネーターによるデザインアドバイスから始まり、デザインのおさめ、石留めなど、いく人もの専門家の手を重ねて作り出される、1ミリにも満たない単位の気の遠くなるようなデリケートな作業です。
多くの専門家がそれぞれの工程にふさわしい最良の技術を駆使して、LocalBrandのハワイアンジュエリーは作りだされているのです。
サイズ、石留、彫りなど、大切に長くお使いいただくほど、ハワイアンジュエリーには必要なリペアがあります。
LocalBrandのオーダーメイド・ハワイアンジュエリーには、LocalBrandのロゴマーク・シダの刻印が刻まれております。
これはLocalBrandが自信を持って送り出したジュエリーに対する証であるとともに、末永くお使いいただけるようにアフターフォローに関しても保証させていただいております。
すべてのオーダーメイドハワイアンジュエリーに関してのナンバーリングとデータ保管体制を整えることで、速やかな対処が可能となっております。
ハワイアンジュエリーの起源は古くはヨーロッパに遡るものです。 17世紀後半イギリスでセンティメンタル・ジュエリーと呼ばれるゴールドジュエリーが流行しました。それが、ハワイアンジュエリーの起源といわれています。
それは、家族や友人への愛の言葉や思い出の言葉を彫り込んだジュエリーで、それが、19世紀ヴィクトリア女王時代にふたたび流行します。 当時はイギリスの最盛期であり、政治・産業・芸術 あらゆる分野で素晴らしい発展を遂げた時代でした。
ヴィクトリア女王は、夫アルバート王子の死を悼んで以後一生喪服で過ごしたという逸話があるほど深い絆で結ばれたといわれていますが、その際、ヴィクトリアン・モウニング・ジュエリー(喪服用のジュエリー) 黒いエナメルのアクセントがついたジュエリーを特別に作らせました。その、イギリスの伝統的な喪中用のデザインがスクロール模様、黒いエナメルジュエリーであったといわれています。
今のハワイアンジュエリーの原型がそのヴィクトリアン・モウニング・ジュエリーにあるといえます。
時を同じくして、当時のハワイは激動の時代でした。白檀貿易により、貴族は豊かになる一方で西洋風文化への憧れ、欲望が大きくなっていったと言われています。ハワイの王室や政治にキリスト教の宣教師や商人など白人の力が影響を増大していきました。アメリカが虎視眈々とハワイ併合を狙う情勢の中、列強国の支持を得ようと、ハワイ国王はヨーロッパや日本を訪問し、日本の皇室と皇女の縁組さえ画策したこともあったといわれています。
こうしたハワイ王室とヨーロッパ文化との出会いの中で、ハワイアンジュエリーは生まれました。ハワイ王朝最後の女王・リリウオカラニ女王も王女時代にイギリス訪問し、ヴィクトリア女王在位50年の式典の招かれるなど、ヨーロッパ文化と接する機会がありました。そのさいは、ドレスメーカーを連れて、遠路はるばるイギリスを訪れたことに、ヴィクトリア女王も喜ばれ、歓待したという史実も残っています。
リリウオカラニは、自らハワイ語を刻んだヴィクトリアンスタイルの金のバングルを特別に作らせました。 もしくは、イギリス訪問の折にヴィクトリア女王より下賜されたものという説もあります。
これががハワイアンジュエリーのはじまりと言われています。
この有名なブレスレットは≪ホオマナオ・マウ≫=永遠の思い出と言う意味の言葉と祈りの言葉をあらわす文字が刻まれています。
そして、リリウオカラニ女王は、王位を剥奪された後も一生大切にそのブレスレットを身に着けたといわれます。
そうした、貴族層を中心とした、ヨーロッパ文化の交流の中で、ハワイアンジュエリーはハワイの独特の文化と融合して発展していきました。
モチーフはハワイでは神聖とされる、マイレの葉、ティーリーフの葉であり、ヨーロッパでは伝統的なスクロール模様もハワイでは波の模様に変化していきました。
また、ハイビスカスやプルメリアの花のモチーフなどなどハワイの自然や文化と融合していきました。
リリウオカラニ女王は大切な恩師へのプレゼントにもハワイアンジュエリーを贈られました。交流のあった、イギリス人 ゾイ・アトキンソン女史 に感謝をこめて≪アロハ・オエ=貴方が愛されますように≫という黒いエナメルの文字と、内側に〈1893年1月15日〉という日付の入ったハワイアンブレスレットを送りました。
アトキンソン女史は女学校の校長をしていたので、そのブレスレットを作ることが、次第に女子生徒の中で評判となっていき、やがて両親から娘への贈り物の定番となっていったと言われています。
こうして、ハワイアンジュエリーは専門店ができ、好きな言葉を刻むオーダーメイドスタイルのジュエリーが流行していきました。まさしく、大切な人への贈り物として、ハワイアンジュエリーのステイタスが確立していったのです。
こうした伝統が物語るように、ハワイアンジュエリーは、代々受け継がれる宝、家宝であり、ハワイでは祖母から母へ、母から娘へと大切に受け継がれるものです。家族や恋人、友への愛情を表現するもの、それが、ハワイアンジュエリーのスピリットであり、時を越えて、ハワイアンに愛される理由がそこにあるといえます。